社会人嫌すぎ

☆授業はじまった

今のところ全部オンライン。ゲーム片手間に聞いてるから何もわからん。これほんとに運動部入ってたから他人との交流があって自我を保ててたけど、ノンサーの人とか死んでない?大丈夫?こんな世の中になってからというもの、自分が結構孤独に弱い人間だと気づいた。去年の自粛期間なんか家族がいたからまま日常会話するしなんとかやってこれたけど、地元から離れて下宿してたら寂しさで精神を病んでたんじゃないかと心配になる。コミュニティに属するって大事ですね。

 

テレビを斜め見してたりすると、通販番組で老人向けに会話ロボットなるものがいい値段で売り出されているのをたまに見る。あんなものに需要があるのかと小馬鹿にしていたが、実感を持って納得できた。調べてみると、テレビショッピングは大量仕入れを短時間で大量に捌くシステムで、化粧品は1200万円/hourを下回るなら番組打ち切りもあり得る世界らしい。あのおしゃべり犬はそんな修羅の世界で通用するレベルの商品だったのか。。。

 

老人は得てしておしゃべり好きで、外に出ればその辺の老人たちと井戸端会議を繰り広げているイメージがあるが、それができるのはやはり一部の社交的な老人だけで、自分もそうなれるかと言えば全くそのビジョンはない。暗い部屋で一人、PCの画面に向き合ってニヤニヤしてる嫌な姿しか出てこない。嫌すぎるけど、他人との関係(この場合は配偶者などを指します)を積極的に求めていってない以上、この孤独な姿と向き合い続けていかなきゃならん現実が重くのしかかってくる。ピーターパンもこんな気持ちだったのだろうか。

 

☆社会人嫌すぎ

なんかTwitterで品川駅の広告が流れてきた。「今日の仕事は、楽しみですか。」いや仕事が楽しいわけねえじゃん舐めんなゴラァ嫌がらせか?みたいなネガティブな反応をたくさん見た。これは果たしてこの広告制作者の意図するところだったのだろうか。

 

まあ炎上商法の面もあるんだろうけど、「楽しいですか」→「楽しいわけねえだろ」→「じゃあ変えましょうよ!」の図式が前提にあって、受け手は「この俺のクソ面白くない仕事を変えてくれるのはどこのどいつだい?ふむ、○○という奴らか……。」という反応を期待されている。気がする。

 

でもこの”煽り”タイプの発破って、対象の感情ベクトルが正じゃないとうまく機能しないように思える。決勝戦での勝利を求めるナインに監督が「勝ちたくねえのか!?」と煽るのはなんというか様になっているけど、引きこもりに「外に出たくねえのか!?」って言ったって、「殺すぞ」としか返ってこないだろう。勝利に目指す正のベクトル感情と現状維持を望む負のベクトル感情の違いだ。

 

そして今日、仕事のベクトル感情は負の要素が強くなってきている。やりがい、情熱を求める層は着実に減り、安定志向が強くなっている。そんな中でこの広告は、少し時代に沿わない感じがする。

 

じゃあこんな現代に合う広告はどういうものだろう。やはり同情の姿勢を見せて、私はアナタの味方ですよアピールが必要なのではないか。

 

『仕事、つらいよな。わかるよ』

 

…………コピーライターにはなれそうにないし、こんなのが品川の駅にずらっと並んでいたらもう”終わり”である。