すずめの戸締り見ました【SAOも】

〇先週の日曜、梅田で映画を見てきました。

 

〇SAO10周年とかいうとんでもない事実から目を逸らしていたものの、内容はプログレッシブ、本当にSAO初期の話で否応なくこの10年間を意識しちゃいました。

ラノベだと2巻で終わったアインクラッド編の描かれなかった時期を描くのがこのプログレッシブだったら、100階層全部やるとして100年経っても終わんなそうだよね、なんて友人とも話しましたが、まあ全部はやんないみたいですね。

しかし10年経っても作品が供給され続ける、というのはこのトレンド爆速時代にあってありがたいことですね。人気に裏打ちされたものだろうし、実際小さめのハコとはいえほぼ満員に近い状態でした。

 

〇内容?10年間も供給が続くって良いことですよね(再掲)

 

 

閑話休題(使ってみたかった)

そして以下ネタバレたくさん

 

 

〇すずめ、面白かった。しかしこれは映画館を出て友人と話していくうちにじんわりと湧き出てきた気持ちであり、終了直後の感想は「地震の描写怖すぎ」これしかなかった。

僕はもともと地震がめちゃくちゃ怖い質で、震度3とかでもマジビビりして半泣きになりながらTwitterで「揺れた」を検索するぐらいには嫌いなのだが、今回の描写は真に迫りすぎてた。速報の音が鳴って一瞬の静寂のあと地響きが伝わってくる様、今思い出しても鳥肌が立つ。

速報の音も嫌なんだよね。一気に心臓を握りに来る感覚。あの音を生み出した人(機関?)は本当に凄いと思っていて、音を組み合わせるだけであんなに恐怖を引き起こせるなんて全く理解が及ばない。

しかもその恐怖はトラウマを引き起こすとかではなく、根源的に(なんかわからんがとにかくヤバい)という気持ちを引き出していて、かつ公的使用されていることから多分国籍関係なく人類全体に恐怖を感じさせるものなんだろう。やっぱり音っていうのは人類原初からのコミュニケーションツールなんだなぁと思いました。

何より、すずめの日記のシーン。楽しい日常が続いていて、ある日突然災害が起こり、ページは何枚も真っ黒に塗りつぶされ、そして急に母親の形見の椅子を見つけた日の明るい絵。感情の振れ幅、子供が現実を否定してしまうほどの災害、絵の落差、その状況下でも日記を書き続けた日常の継続、いろんなものがないまぜになり、22にもなって怖くて泣いてしまった。凄い表現だった。

 

〇廃墟良いね。もともと廃墟、というか人がいなくなった風景は結構好きで、人がいて生活や感情があったのに無くなってしまった、その文脈を感じて、往時に思いを馳せたり馳せなかったりするのが良い。

……という感覚を持っていて、見終わった後に新海誠本(どうでもいいですが、タイトルサイズ手触りからして完全に同人誌でした)で見つけた「土地を悼む」という言葉。妙に心に残る言葉で、寂れた町を訪れた際に感じる寂しさ、やるせなさ、無力感(おこがましいけど)、そういった良さだけではないいくつかの感情を上手くまとめてくれた言葉だな、と思いました。

 

〇過疎地と被災地は違うんじゃないの、という話。この話はTwitterで見かけて、凄く納得した言説を自分なりに焼き直しただけなのでこちらを見てもらえば十分です。

物語の結末としては、災害に遭ったとしても未来がある、と他の誰でもない自分が応える、というものでした。確かに、「死ぬことなんか怖くない、生死は運」と言っていたすずめが「死ぬのは怖い」と正常(?)な感覚を取り戻し、トラウマを克服した。

しかし、土地に主体を移してみるとどうだろう。確かに被災した土地は復興が進んでいる。けれど、過疎化した土地に人は戻ってくるのだろうか?

 

〇加齢による成熟/衰え、変化。これも新海誠本に書いていたことで、すずめと環という疑似親子は自分の子供がある程度の年齢になった今だから描けたもので、逆に今では君の名は。のような運命の赤い糸のような物語は作れない、という話。当たり前っちゃ当たり前だけど、でもそうだよなぁ、となる。結婚して子供ができれば人生観も変わり落ち着いた作品になる。エヴァだってそうだ。みんな大人になっていく。寂しいねぇ

 

〇ダイジンの怖さ、人外性。序盤の軽い言葉が契約的意味を果たし、コミュニケーションは微妙に成り立たず、意図の読めない行動はすべてすずめのためという感じ、まさしく人間とは異なる人外という感じがしてよかった。これだよこれ。エロマンガでオタクに優しくして射精を促すなんちゃってとは違いますわ!

 

〇東西の要石って最初は宮崎と東京にあったってことなんすかね?なにか宮崎の理由とかあったのかな。

 

左大臣が取りついたから環さんはあれを言わされたってこと?左大臣くんはすずめを助けたいんじゃなかったの?なぜそれに反するムーブをかましたの?それとも環さんとの衝突が結果的に成長、トラウマ克服に繋がると見通したのだろうか。人外の行動はいまいちよくわからんっすね。

 

〇被災地を目の当たりにした時のすずめ/芹沢くん。これはめちゃくちゃ印象に残るシーンでした。被災者とそうじゃない人の決定的な断絶。しかしこの断絶をすずめは埋めようとせず、芹沢くんは気づかずこのシーンは終わります。

で、これを見た後に被災地に行かなきゃいけない、と感じた。

前々から被災地は見ておかなくちゃいけない、とは思っていた。変に誤解されたくないので言うと、ボランティアがしたいとか現地の人の助けになりたいとかではなく、被災って実際どうなのかをこの目でみたいという興味でしかない。10年が経ち、完全に復興する前に爪痕を見ておきたい、という気持ちがあった。

僕は被災した人と言葉を交わしたことはない。けれど、長い人生、いつかその機会もあるかもしれない。そんな時に、「こんなに綺麗だったんだな」みたいな言葉を言っちゃう可能性は、残念ながら大いにある。ただ、その自分の無頓着な加害性に意識的でありたい、と思った。その気持ちが追加された、という話。

 

天皇制の話どっから?なんかTwitterで感想漁ってたら急に天皇制なんて不釣り合いな話が出てきて驚いた。これも分かりやすいツイートがあったので置いときます。

地震という災害を抑えられる/抑えるべき存在=天皇、みたいな話。そこからジェンダーの話にも発展するみたいだけどあんまり興味ないのでパス。

 

〇深読みってどーなんだろね。もっと純に楽しんでもいい気もするけど映画/製作者によるよね。まあこれは個人の楽しみ方なんでとやかく言うものではないけど、マジになりすぎちゃいけないとはなんとなく思っている。作品がすべてで、それ以上でもそれ以下でもない。

で、この話は映画、というか創作物に対する見方、作者の意図をどこまで読み取るか、という問題にもつながっている気がする。今回で言うと、僕は勉強不足なので分からないけど、多分新海誠天皇制のことを意識してこの作品を作ったわけではないと思う。いやどうだろう。日本神話の要素がふんだんに入ってるみたいだし、ワンチャンあり得るか?まあ今回はない、という方向で話を進める。けれど受け取り手の深読みにより、新海誠天皇制についての映画を作った!という評判が立ってしまう。それって本当に新海誠が伝えたかった事じゃなくない?みたいなことが起きる。

 

ただそれはもう創作という形で何かを表現しようとしている以上、仕方のないことなのかもしれない。表現として世に出した時点で、作品は作者の手元を離れ、世の毀誉褒貶に晒される。そして作者はもっと大勢の人に自分の想いが伝わるようより良い作品を作るかもしれないし、絶望して筆を折ってしまうかもしれない。すべては受け取り手の匙加減なのだ。

……みたいなことを大学の般教で聴いた気がする。また改めて教科書を読み返してみようかしらん。2割ぐらいしか読んでないケド。

 

〇総合的に、今年一面白い映画でした。でも個人的に怖いシーンが多かったので2回目はためらわれます。でもオススメです。