虎と天狗の分かれ目

2024/2/20

 

・『新釈走れメロス他四篇』を読んだ。

 

・画像が小さい。なんでだろう。

 

・長らく積んでいた本で、多分高校生くらいに買ったんだと思う。夜は短し~で森見登美彦いいな、と思い、自分の大学選びに多大なる影響をもたらした。世間が思う京都大学生のイメージはこの人が強く浸透させたんじゃないだろうか。

 

・結局京大を諦めたことから京都大学、ひいては京都という土地自体にかなりコンプレックスを抱くようになり、森見登美彦からも遠ざかるようになった。高校時代に読もうと思って買った本が他に何冊かある。なんとも身勝手で個人的な理由だけど、それを押しても読もうと思ったのは、引っ越しが近づいてきて持っていく本の選別をはじめたから、というのがひとつ。

 

・引っ越しのタイミングで持っていかない積読本って多分一生読まないと思うし、どんどん供養していきたい。そしてもうひとつの理由として、最近読んだ米澤穂信のインタビュー↓で

www.webdoku.jp

最近注目している作家と作品に挙げられていて。まあ結構昔のインタビューだから最近って言ってもなんだけど、ちょうどいいな、と思いました。

 

・面白かった。『走れメロス』は、京都の腐れ大学生が軽快なテンポで話を進めていくといういつものやつで安心して面白いし、これこれ!ってなる。なんなら作者本人もめちゃくちゃ書きやすいんじゃないかな。

 

・好きなのは『山月記』。ド嬢6巻の遠藤くんの感想がめちゃくちゃ好きで、それを読んで以来自分の中で折に触れて思い出す作品ではあるんだけど、これもだいぶアレンジが加わっている。

 

・万人を軽蔑する傲慢によって天狗となった斎藤が、夏目との出会いをきっかけに再び文章を書けるようになった。原典が徐々に人間ではなくなり詩も友情も解さない虎になってしまうことを思えば、幸せな結末のように思える。

 

・では、虎と天狗は何が違ったのだろうか。思うに、業の深さなのではないか。李徴は残してきた妻子の身の保障よりも先に自らの詩業を残すよう袁さんに訴え、そのような男だから獣へと身を堕としたと自嘲する。斎藤は、自分を苛む気持ちのみで天狗へと化した。2人ともやってることはだいたい同じだけど、李徴は自己本位が強すぎたゆえに虎となり、桃色遊戯という俗事にかまけなかった斎藤は天狗で済んだ。そんなもんなのか?もっと納得いく理由の欲しさはややある。

 

・解説が漱石夢十夜だったね。大学の般教で題材になっていて、はじめて文章を美し、と感じた作品だ。見開き1ページに収まる文章でありながら分かりやすく、情景をまざまざと想像できるし、なによりロマンチックで。夏目漱石ってマジで凄いんだ、と思った記憶。

 

 

・謎かけ考えました。「武器を取れない男」とかけまして、「限界独身中年男性」と解きます。その心は……

 

どちらも意気地(育児)がないでしょう