軽快ブログ

「夏が来るね」そう言って君は

何でもは知らないわよ。

〇大学の友人とラーメンを食いに日本橋へ。彼とは高校こそ違えど生活圏を共にしていたので、思い出の店がだいたい被るのだ。今は亡き寺田町歴史、チャーライの極とか。今回はその中のひとつ、のスたに行ってきた。

 

〇内装がキレイになってたり、キャッシュレス決済可能だったり色々と変わってた。そりゃ最後に行ったのは高2とかだもんな。味もあんまりおぼえてなかったけど、普通に美味しかった。

 

〇ただ二郎系のドカ盛の店に行くといつも、食いきれなかったらどうしよう、めちゃくちゃキレられるんじゃないか、そんな気持ちになって自然と早食いになり、気も急くので正直ちゃんと味わえたことが無い。今回も、朝昼抜いたのに並盛でも途中(やべっ)と思う瞬間が3回くらいあって、残した時の想像で心が休まらなかった。そういう意味でも二郎は戦場なのかもね。知らんけど。

 

〇そして水曜日。3年間やったバイトの最終日。何一つ感慨も湧くことなく終わった。アルバイトはしょせん金策でしかない、という気持ちが常にどこかにあって、バイトを通じてやりがいや意義、ウェットな人間関係などを全く求めなかったので当然ではある。

 

〇そんなバイトでも、教育への解像度は高まった。現在は幼少期からの教育が過熱している、という話は聞いていたが、低偏差値帯の子供を相手にしてきた中で、幼少期小学生時代の子供への投資、特に教育関係は惜しむべきではないと実感した。偏差値でいうと40後半から50までの間に確実に見えない壁があり、それを越えていない限り中学生からではもう取り返せない。環境を根本から変えればワンチャンあるかもしれないが、たいていの場合そんな子にその機会は訪れない。

 

〇n=30ぐらいの信頼性の低いデータだが、結構確信はある。同じことはスポーツや芸事にも言えるはずで、確かに遅咲きの人はいるがサンプル数は少なく、そして幼少期に下地が作られていることが多い。だからまあ、結論として親ゲーなのだろう。賢い子でも、親が熱心でないために才を発揮しきれない子もいた。彼は、いつか気づくのだろうか。

 

〇これも裏返せば、子育ての難しさなのだろう。世の中の親はこれを背負って生きているのだから敬意を表さざるをえない。同時に、もし親になればこれを自覚して生きなければいけない。そのわりには儀式がえらく俗物的な気もするが。それだけヒトの意識が変化してきたということなのかね。知らんけど。