夜が来るたび悩みなさい

『夜空の呪いに色はない』読みました。

階段島シリーズ5作目。3作目あたりから積んでて、つい最近古本屋で完結したのを知り全部買って読んだんだけど、後になってこれを飛ばしてたことに気づく。雰囲気で読んでるのがバレちゃうよ……

 

言い訳をさせてもらえるとするなら、階段島シリーズは2作目あたりからずっと同じ問題を取り扱ってる、というのがある。内容も自分/他人、成長、変化といった思春期的かつ抽象的なテーマが多く、毎回劇的なことが起こる出来事主体ではなく、人物の心情を丁寧に描写していく感じも相まって、意識して読まないと記憶のフックに引っかかりづらいのかもしれない。

しかし同時にこの文体がある種の捉えきれなさ、淡く幻想的な雰囲気を醸し出してる面もある気がする。言葉遣いもすごく綺麗で、キャラクターの言動心情にも激しさはなく、優しく穏やかな印象を受ける。自分には全然書けそうもない。

 

読んでて凄くいいな、と思った箇所があるので引用。大人と子供の違いについて真辺に問われたときの、トクメ先生の返答。

「世の中には、二種類の大人がいます。一方は子供でいられなくなり、仕方なく大人になった人たちです。いろんなことを諦めて、自分自身のほんの狭い経験を現実のすべてのように語って、子供のころに大切だったものを捨てる言い訳に大人という言葉を使っている人たちです。新しくなにかを得たわけではなくて、ただ子供でいる権利を失っただけですから、貴方が気にかける必要はありません」

「もう一方は、自ら大人であることを選んだ人たちです。世の中の大切な義務を引き受けることを覚悟した人たちです。(中略)法で定められた義務というのはつまり、未来に尽くせということなのだと思います。未来を創る義務を負う覚悟を決めたのが、正しい意味での大人です」

大人と子供の境界線の話なんてのは青春小説頻出問題なわけで。今回トクメ先生は「義務を負う」ことではなく「負う覚悟を決めた」人を大人としている。受動的なままでも大人になれるけど、それはただ子供でないだけの人に便宜上名前が与えられただけで、正しくは能動的にならなければならない。

28にもなって何が大人でも子供でもないじゃい、って誰かが炎上してたけど、じゃあ20歳になったら自動的に大人、ってわけでもない。大学進学率はあがり、晩婚化も進む中で果たして20歳がこの令和の世の中で妥当な数字なのか、という議論はあるけれど、それでもやっぱり能動的に自らを投企していかなければならない。サルトルマジ偉大。

 

この引用箇所のあとも好きで、あくまで論理的に大人が子供に頼ってはいけない理由を問いただす真辺に、大人の意地だ、と答えるトクメ先生。

「私は自分の意志で大人の役割を引き受けているのだと、言い張っていたいのです」

論理を突き詰めていって、それでもこれをやる、みたいな意地、矜持、誇りみたいな概念がワタクシ大好物です。

 

じゃあ、”正しく”大人になるにはどうすればいいのか。

「朝は夜の向こうにあるものです。正しく大人になるには、ひとつひとつ、誠実に夜を超える必要があります」

「暗く、静かな、貴女だけの時間です。夜が来るたび悩みなさい。夜が来るたび、決断しなさい。振り返って、後悔して、以前決めたことが間違いならそれを認めて、誠実な夜を繰り返すと、いずれ、まともな大人になれます」

オシャレだな~。